園長の野良日記     2012年 1月   ファイル 2012

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   原発はいらない! 反戦・反核・反原発・反貧困・反差別  ←おはら野農園の取り組み 2011.3.11 

      2011年5月     若狭の海 /姫野洋三&おじさんアンサンブル  忌野清志郎 /RCサクセション 他 →準備中
      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  R303〜徳山ダム 紅葉を愛でに、ドライブ
      2010年9月      藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
                 2010年1月〜     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
     
                 2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
     
                 2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
                 2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
                 2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
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2012年1月30日(月)
原発いらん!生きろ!生きさせろ!!
  小屋の前に貼った(1月28日土)。

  昨日は、これを見た古い友人が声をかけた。多分、多くの人と同じように不安なんだろう。「原発はいらん!」この簡単な言葉を発することに、勇気がいるのは、きっと勉強していなければ、知っていなければいけないなんて勘違いをしてるからだろう。

  近代が誕生してもう何百年経つ?その間に培われた教育や、感じ方が身にしみついている。みんなそうだ。

  いらんもんはいらん、嫌いなもんは嫌い!それでええじゃないか。


  日暮れから雪に変わった。30〜40センチの雪になると、気象庁は言ってる。ぼちぼち気温が0℃以下になりそうだ。
2012年1月25日(水)
2.4関西びわこ集会・デモ
  40年振りだ。可愛い(どこが)立看文字。模造紙横3枚。

  昼から雪模様、夜には風もでるだろう、明日の雪の様子を見て貼ることにする。

  集会・デモ参加のプラカード。
2012年1月25日(水)
二つの記事、読売新聞が1月23日の早朝、二つの記事をネットに載せた

  ネットで話題になったのは、03時04分のほうだった。

記事の出所、東大地震研のサイトに行ってきた。


 昼過ぎ:西から雪雲。それにつれて伊吹山から雪雲が広がる(画面左)
M7級首都直下地震、4年内70%…東大地震研   (2012年1月23日03時04分 読売新聞)

マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算を、東京大学地震研究所の研究チームがまとめた。

 東日本大震災によって首都圏で地震活動が活発になっている状況を踏まえて算出した。首都直下を含む南関東の地震の発生確率を「30年以内に70%程度」としている政府の地震調査研究推進本部の評価に比べ、切迫性の高い予測だ。

 昨年3月11日の東日本大震災をきっかけに、首都圏では地震活動が活発化。気象庁の観測によると12月までにM3〜6の地震が平均で1日当たり1・48回発生しており、震災前の約5倍に上っている。

 同研究所の平田直(なおし)教授らは、この地震活動に着目。マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度が10分の1になるという地震学の経験則を活用し、今後起こりうるM7の発生確率を計算した。



首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研   (2011年4月23日08時10分 読売新聞)

 東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、東京大地震研究所のグループが22日、発表した。

 解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、注意を呼びかけている。

 同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、大震災でどのような影響を受けたかを解析。地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。震源が30キロよりも浅い地震は静岡県東部から神奈川県西部で、30キロよりも深い地震は茨城県南西部、東京湾北部で起きやすくなっていることが判明した。

(2011年4月23日08時10分 読売新聞)



3月11日以降の首都圏の地震活動の変化について

2011年東北地方太平洋沖地震による首都圏の地震活動の変化について

  • 以下の試算は,2011年9月の地震研究所談話会にて発表されたもので,その際にも報道には取り上げられました.それ以降,新しい現象が起きたり,新しい計算を行ったりしたわけではありません.
  • したがって,東北地方太平洋沖地震以降の変化をあらわしたものであり,ここ数日の変化,といった要素はありません.

地震防災・減災対策についてはこちら.

※ 報道関係の方へ: 関連する内容を掲載の場合は,個々人の取れる地震対策にも触れてください.

(研究内容と図の作成:酒井慎一 准教授,代筆:大木聖子)

  (中略)

よくある質問

  • Q. 2012年1月23日の読売新聞の朝刊一面に出ましたが,直前に首都圏での地震活動が変化したのでしょうか?
    • A. していません.この研究は,2011年9月の地震研究所談話会で発表された,3月11日以降の首都圏の地震活動の変化を示したもので,その際の試算の値です.また,新聞に掲載された内容は,酒井准教授を中心とした研究グループが試算したもので,このサイトは,2011年9月の地震研究所談話会での酒井准教授による発表内容をもとに作っています.
  • Q. 地震研究所の公式見解ですか?
    • A. 違います.報道されて後,問い合わせが多くあったので用意したサイトです.ここに掲載されるものは,他のページも含め,地震研究所あるいは研究者コミュニティに認められた内容ということを意味しているわけではありません.
  • Q. 「今後30年で98%」と「今後4年で70%」というのは同じ情報なのでしょうか?
    • A. はい,同じです.
  • Q. 政府発表の「今後30年で70%」と違う結果なのはなぜですか?



全文は   →http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/eqvolc/201103_tohoku/shutoseis/   



 東京大学地震研究所 広報アウトリーチ室
 地震・火山の科学をもっと身近に

   トップページ →http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/ 
2012年1月25日(水)
原発はいらない −とても悲しいことでしょうが、そう長くはない時間を、一緒にいたい人と過ごしましょう。P159

@被曝労働を弱者に強いる原発は誤りである
A都市に作れない物を田舎に作ってはいけない
B核廃棄物の処分の仕方を人類は知らない。100万年先まで残すことになる
  原発はいらない/小出裕章/冬幻舎ルネッサンス新書/2011
  それでも残念ながら濃度の高い放射能に巻き込まれ、全身被曝した場合は、短時間に嘔吐、下痢、頭痛、発熱、意識障害などの症状が現れます。このような状態になったら、手遅れかもしれません。とても悲しいことでしょうが、そう長くはない時間を、一緒にいたい人と過ごしましょう。−

  P159(−第三章 原発に関する何でもQ&A・・・・ 
    知らないと、自分も家族も守れない
  手遅れの場合は、一緒にいたい人と過ごす   )

  この本で小出氏が言ってるのは、3点。

@被曝労働を弱者に強いる原発は誤りである。
  ウラン採掘から、運転中・定期点検中の炉心近くの作業は下請けの下請けの労働者。常に社会的弱者が犠牲になってる。

A都市に作れない物を田舎に作ってはいけない。
  命の価値は都市と田舎に差はない。

B核廃棄物の処分の仕方を人類は知らない。100万年先まで残すことになる。

  この3点は、地震があろうが無かろうが、関係なく、原発の犯罪性、誤りを指摘する。つまり「原発はいらん!」のだ。
  彼は、原子力工学に未来を見た学生時代に、女川原発建設反対に参加して、学者として「原発反対」を言い続ける人生を選んだ。反対する住民の声に耳を傾けたのだ。

2012年1月24日(火)
日本の汚染は「核戦争後」これが欧州なら「革命モノ」と言う原子力専門家(ゲオルギ・カスチェフ
                                  於)衆議院第二議員会館 「1月11・12日:欧州のストレステスト批判と日本の現状」
                                                   主催:グリーンアクション他 →
http://www.greenaction-japan.org/modules/wordpress/index.php?p=545


 ↑ 2012.1.9 大阪会場のギオルギ・カスチェフ氏
   同 スライドから ↓
日本の汚染は「核戦争後」これが欧州なら「革命モノ」と言う原子力専門家
     2012年01月19日 10:03−東スポWEB 渡辺学 →http://www.tokyo-sports.co.jp/writer.php?itemid=17686 
強烈な例え話を聞いた。
 「きつい言葉だが、現在の日本は核戦争後の世界と言っていい。セシウムで広島型原爆170発分と言われるセシウムが福島第1原発から環境に放出された。土壌、水、空気、食べ物。日本全体が核戦争の後のように汚染されている」
 「もし年間20ミリシーベルトまでは避難させないことになれば、世界標準では革命が起こる」
 いずれも、元ブルガリア原子力安全庁長官ゲオルギ・カスチエフ氏が先週、衆議院第二議員会館で開かれたストレステストに関するセミナーに出席した際の発言である。
 プロフィルによるとカスチエフ氏は国立ウィーン自然資源応用生命科学大学の上席研究員。37年にわたり原子力発電所の運転、管理規制等の技術研究に携わり、1997年から2001年まで、安全庁長官の職に就いていた。東工大客員教授を務めたこともあり、現在は欧州の原発に課されているストレステストの評価にかかわる。
 「放射線医学から言えることは、電離放射線にさらされると、量が少なくても健康被害が起こる。欧州では、原子力施設関係で働く労働者は年間20ミリシーベルトまで、一般の人は年に1ミリシーベルトまでの被ばくしか認められていない。原子力施設の労働者の被ばく線量を国民全体に適用することはあったはならない」
 これがカスチエフ氏の見解。
 ストレステストの有効性については日本でも疑問の声が絶えないが、カスチエフ氏に言わせると、欧州のテストも“茶番”のようだ。
 「対象施設の範囲が狭い」「時間が短い」「基準がない」「独立性がない」「透明性・公開性がない」
 ないないづくしのストレステストで「原発が安全になるわけではない」という。




この情報は、最初にliveDoor Brog らんだむちゃんねるから得た
    →
http://rand.ldblog.jp/archives/5747796.html (後のいろんな書き込みは読んでない)
こちらも参考に。先立つ月日に大阪で開催された時のゲオルギ・カスチェフ氏の資料
   →  
1月9日 欧州のストレステスト批判と日本の現状〜
      ヨーロッパの原子力撤退と新しいエネルギー政策を語る〜  原発運転再開問題をめぐって〜
     カスチエフ氏の当日の資料

2012年1月22日(日)
The Cider House Rules













  映画の冒頭、メイン州、蒸気機関車。山の上に見える孤児院のための停車場なんだろか。ここには二つのルールがある。一つは孤児院と運営する理事会のルール。もう一つは農場主とリンゴジュースハンバ、でないぞ伴場、飯場のルール。
  共通するのは、これ。
 「このルール書いた奴はここに住んでいない、これからも俺たちと一緒には暮らさんだろう。ルールは俺たちが決める」
  そして、自分たちの自前のルールを作るのは、辛い困難な事態をも自分たちで引き受けること。

  こんなセリフがあった。病弱の子が死んで墓に埋める。「いいか、この子は貰われていったんだ」  「それを信じる?」、「みんな信じたいさ、だから信じる」  閉ざされた未来

  シチメンドークサイ現実を引き受けるには、それなりの覚悟がいるってことかな。ルールはそこからしか生まれない。

  私は映画に感情移入できないたち。映画に限らず大概の場面でそう。そして突然、その世界にとっぷり入っていたのを思い出すたち。あまり穏やかではないたち。

  家族の出てこない映画
  ラーチ医師が、寝る前に、未来の王たちに祝福してドアを閉じる。家族から見捨てられた子どもたちの未来は、運が良ければ子どもない夫婦の養子(王子・王女様)に託される。トラックを運転できる子が、養子に行った先ではトラック運転手にはならないだろう。だとすればこの子の未来はトラック運転手、家族の無い。父と娘がセックスで結ばれた破局、和解を求めるためさし出した手を、ナイフで振りほどく娘。キズを増やして、飛び出した娘をかばう父親。
  破局にしか向かわない「家族」を執拗に追う。彼女のBFはビルマ戦線に志願し、どんな家族に育った?、下半身まひで戻る彼に寄り添う彼女、ここにも「健全なアメリカの家族」はない。
  農場主の息子は、季節労働者を受け入れる「大家族」経営、案外古いアメリカの「家族スタイル」かも知れない。彼女の家は、ロブスター漁で生計を立てる漁師。画面は遠景でしか映さない。
  望まぬ妊娠?誰にとって?、違法な堕胎・中絶。ここでは大人にならないネバーランドの住人は登場しない。その意味では、大人のルールに大人のルールを対峙させたのかも。






  ←前作に、Iが抜けてた。これやな。I入り。
2012年1月21日(土)
震災復興とTPPは矛盾する/中野剛志/現代思想6_2011Vol39-8
  去年の6月号、正月に読みだした。TPPは判らず終いとなった。しゃあないので、中野剛志の集英社新書「TPP亡国論」に足を伸ばした。

  現代思想6月号の中野剛志の談話形式の「震災復興とTPPは矛盾する」は先の新書が震災直前に書かれ、震災以降の日本を検証する形になってる。今ならこちらを中心に話を進めてもいいが、まあどっちも読めばいい。

  繰り返し。TPPが判らん、関係ねえじゃないか! ここから考えていく。

  胴元は、丁半揃って博ちがはじまる。はってくれなきゃ寺饌も出せない。金が動けば儲かるのがバクチ、どっちが勝とうが関係ない。胴元はバクチをしない。TPPに参加しようがしまいが、胴元は金が動けばいいのだ。

  投資家にとって、乗るか降りるかどっちかしか選択はない。繰り返すことで、ある日の帳尻を確かめる。止めたらそれまで、今までがチャラになる。そんなマネーゲームにつきあわない。第一、生活する舞台が違う。

  金が循環するなんて、頭の中の妄想だろう。日本では資本と経営の分離が進んでいないような錯覚をする人多い。国家・民族資本を世界が嫌うのは、国家の大義に身をゆだねる輩を嫌うのと同義だろう。

  大義は寺饌を問題にする。世界は寺銭を問題にする。
2012年1月20日(金)
「TPP亡国論」中野剛志を読み始めた
TPPが判らない。判らない理由は、関係ないからだ。でも周りが攻めてくる。で、読むことにした。こんな本の読み方は身につかないけど、まあいいか。
  TPP亡国論/中野剛志/集英社新書/2012.3.22 10刷11.30

←帯を読む:15万部!?これって多いのか少ないのか!?15万部で話題騒然の新聞・テレビの底が知れる。帯はセンセーショナルな割に、内容はスタンダード。読みやすい構成になってる。

  経産省→京大助教、西部邁、ポールポラニー、ふーん、新保守と経済人類学かな。
著書: 国力論-経済ナショナリズムの系譜/以文社/ 
   書評西部邁主催・『表現者』塾(旧東京『発言者』塾) →http://d.hatena.ne.jp/hatsugenshajuku/20080607/1213534421  
    自由貿易の罠-覚醒する保護主義/青土社/2009
   書評西部邁主催・『表現者』塾(旧東京『発言者』塾)
 →http://d.hatena.ne.jp/hatsugenshajuku/20091219/1261201356  

  著者の後書きに、「この騒動が終われば、普通の暮らしに戻れるから」 −2011年2月
ってある。つまり騒動なんだ。あらすじと、顛末の見える、だから騒動。

  続けて、著者中野剛志氏が引用する主なURL
  包括的経済連携に関する検討状況 H22年10月27日内閣官房→http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/pdfs/siryou20101106.pdf
  農水省「WTO農業交渉の現状−2010年12月 →http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kousyo/wto/pdf/1012_meguzi1.pdf  
  農水省「WTO農業交渉の主な論点−2010年12月 →http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kousyo/wto/pdf/1107_2.pdf 
    参考:農水省/WTO交渉コーナー →http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kousyo/wto/ 
  引用文献の中から一点
    : 田代洋一「TPP批判の政治経済学」//TPP反対の大義/農文協ブックレット/2010所収

  さしあたりはこれくらいか。じゃあ読みはじめよう。
2012年1月16日(月)
19951.1.17阪神淡路大震災  当日の朝刊と夕刊

  毎年1月17日が来る、去年までは。今年から1月17日と、3月11日と。
備えのあるところの雪なら、いいけど備えもせず考えもせず、、そう未だに考えていない。

北日本の日本海側中心に大雪 1月16日 18時9分  NHK

強い寒気の影響で、北日本の日本海側を中心に雪が続き、積雪が多いところで平年の3倍前後に達する大雪となっています。

気象庁によりますと、日本付近は先月以降、冬型の気圧配置となる日が多く、上空には北から強い寒気が次々と南下しています。特に北海道付近には、今月上旬ごろから、上空5000メートル付近で平年を5度以上下回る氷点下40度前後という強い寒気が流れ込んでいます。このため日本海側を中心に雪の日が続き、寒気の影響で降った雪があまり解けないため、各地で平年を上回る積雪となっています。午後5時の積雪は、山形県庄内町で1メートル10センチと平年の4倍近くに達しているほか、青森県むつ市脇野沢で99センチ、岡山県真庭市蒜山で74センチといずれも平年の3倍以上となり、青森市でも平年の2倍余りの1メートル26センチに達するなど、積雪は北日本を中心に多いところで平年の3倍前後に達しています。また、北海道岩見沢市では、雪の影響で15日夜から積雪計が雪を計測できない状態となっていましたが、16日午後5時に復旧し、昭和21年に統計を取り始めてから最も多い1メートル94センチの積雪を観測しました。気象庁によりますと、今週は寒気の南下が次第に弱まり、冬型の気圧配置もいったん緩みますが、来週以降は再び冬型の気圧配置が強まる見込みで、日本海側の各地では、この先1か月の雪の量が平年並みか、平年よりも多くなると予想されています。

2012年1月15日(日)
小正月
  小豆粥を食べる日、小正月。どんとの日、正月の終わりの日。子どもの頃、この日までにもう一度おもちをついた。それほど、来る日も来る日もモチを食べた。腹いっぱいになってもまだ夜中に起きて食べた。

  正月3が日が神さんの日なら、この日は人間界の年取りの日だった。村の役や、大人になる日だった。

  女正月。嫁さんが実家に帰る日。子どもを乳母車に乗せ、お餅や御馳走を持って実家に飛ぶように帰ったそうだ。帰り路は長かったそうだ。男が厳しく働いたように女性も厳しく輪をかけて働いた。
  いつかそんな貧乏生活を貧しい暮らしだと言い始めた。近代社会、とりわけ戦後が一段落し日本が「高度経済成長」が叫ばれた時代だ。いつの間にかそれが習い性になって「もっと、もっと。more more」が美徳に変わった。気が付いたら田舎がなくなり、地方になり、原発が54基もできていた。

  今頃は、東京の中に「地方」ができ、一部の都心と地方に割れている。「勝ち組と負け組」というマネーゲームに興じるほんの一部の人間に踊らされる世の中だ。

  経済が実態を失い、当然の帰結だ、ありもしない目に見えぬ「金」が大手を振って歩いている。実態を担ってきた「消費者」はまだ気づいていないようだ。作らせて買わせるサイクルの呪縛から抜け出せずにいる。
  あえて間違って言った。その実態を継続させていれば「貨幣」の循環とシンクロしてるかの錯覚に陥るのだ。
2012年1月13日(金)
雪や、アホラシヤの鐘が鳴る、その弐
  乗らないのに雪が降る。プジョー206cc雪国非対応仕様。フタあけてアルプスの道を走るビデオクリップがあった。チョーカッコヨェー。

  んなことはさておいて、カードリーダーがどこぞで寝てるかと探してたら、出てきました。忘れる度に現地調達したか、minはケータイを替えた時かな?判らん儘に増えていく。ニャロメなのだ。



  もう買わないと言いながら、「あらへん!またやった!!」のたんびに増えるほど安くなったし、取扱いも簡単だし。

  パソコン世代だが、メモリーのないカセットテープに落とす時代(PC−8800)、1Mb1万円の時代(MAC_CX-2)を経て、2Gbが2千円しないなんて。フロッピー時代に漢字第二水準はフロッピーを差し替えてくださいワープロが25万円也だったんだから、信じられない!!。

  あれ?!まだ12月のページに書いてる!!


 ← 買っちまったは、680円也。カードリーダー、要はカードスロット⇒USB変換アダプターじゃあないか。キーボードの前に置いて、カードの抜き忘れ、挿し忘れ防止。無精というか粗忽というか、PCに挿したら和syれてしまう程度の頭なんである。
2012年1月9日(月)
アホラシヤの鐘が鳴る
  あ行【アホラシヤの鐘が鳴る】只、「阿呆らしい」と一蹴されるより、そのあと鐘をならされるほうが印象が強く残る『大阪呑気大辞典』大阪オールスタ−ズ編/JICC出版局/1988。

  大阪駅に着いて、地下鉄谷町線に向かう、東梅田・南森町・天満橋、これだけや。北に向かう大日とか、南に向かう喜連瓜破とか、八尾は付けたしや。三駅のどいて田舎。地上を歩こう。おのぼりさん、この風景はなんだ。カシャ・カシャ。ここで気づけば良かったのに

  天神橋でおにぎりピクニック。向かいは通りぬけか、ここの川べりの散歩道は新しくできたんだな、ベンチが無いやんけ、「歩かないでください、立ち止まらないでください、寝ないでください。」やな、アホくさ。なにいちびってるねん。気取ってどすんねん。階段お握り。
  茶啜ってたら、姉ちゃんが男衆連れてぞろぞろ。なにはじまんねん。男がススっと、あれなんちゅうもんや、折りたたみ反射板、ぱかっと広げて、ゾロゾロが、姉ちゃんに会釈して、なにへつろうとんねん。品作ってポーズとって、あ・な・た・はき・れ・い。おっさんが姉ちゃんに写真撮らせてェナって言えなくてあほな銭つこて、媚びうっとる。

  あれ?大川に水上バスが。このバス、京阪・琵琶湖汽船が「琵琶湖総合開発」で、琵琶湖の水位 が下がる、はり丸やらなにやら全部総入れ替えや、外輪船や、ミズリーやとしこたま金貰って建造した船や。数年たったら大川に浮かんでた。浮かんでたじゃない、浜大津からここまで運んだんやないか。
  などなど、カシャカシャしてたら「カードがありません、記録できません」と、、、。「大阪呑気大辞典」モードから目覚醒。
  カードがあらへん。現地調達2GBにアップ、大阪。

そんなんで、月9日 欧州のストレステスト批判と日本の現状
     
     ヨーロッパの原子力撤退と新しいエネルギー政策を語る/ 原発運転再開問題をめぐって〜
  からしか、写真がない。

  家に帰って、蓋を開けてみると、ほうらネ512MBが刺さってる。これでも当時の最強カード。
2012年1月6日(金)
ケーキ、独り占め


  この歳になって、ケーキを独り占めして食べた。だんだん薄くなったけど、最後のピース、さて来年は?
2012年1月5日(木)
朝から雪、湯たんぽで顔を洗う
  まだ去年の続きで書いている。

  朝から雪、湯たんぽ(のお湯)で顔を洗う。前夜から布団を暖めた湯たんぽは顔を洗うに丁度いいようにぬるくなってる。千と千尋の神隠しに登場する湯婆婆、強欲なのか強靭なのか、妖怪たちが集まる湯屋の主。

  大阪・堺に湯屋町という地名がある。その先の大浜から熊手詣での船が出た。江戸時代、参詣には精進落としが付きものでここで酒や肴の物見遊山の宴があった。天河村・大峰山、ここにも洞川(どろかわ)なる湯屋・旅館がある。昔、帰りが遅くなってここに泊った。日が暮れて宿を探しあて、泊めてえやといったら、お婆が、この季節外れに女の子はいいひんで、という。そうかあ、大阪からここまで遊びにくるか。

  あっちこっちに書いて、またかの感もするが、湯婆と書いてタンポと発音する。中国から日本にこのタンポが入ってきたとき、お湯をいれる容器の意味に変化して湯タンポになった。原意のおかあさんのようにお布団の中で暖かい、は使ってみると判る。

  そんな湯婆を思い起こしながら、千と千尋に登場する湯婆婆をみると、複雑なイメージがする。


  猫は暖かいところ、過ごしやすい所を知ってる。朝、まだ台所が暖まらないいっとき、こっちのストーブに集まった。温風にあたるのは老猫♀、さほど寒くないかして若猫♀。




  布団のなかでも、熱くなるとのび〜っと寝るし、さらにはぷふぁ〜と顔を出す。それで、布団はいつも快適温度。

  外は雪、家の前を働く自動車・除雪車が行く
2012年1月3日(火)
幸せか? うん
  61回目の誕生日だ。ケーキを食べるというイベントがはじまったのは、子どもの頃だ。しかし、すべての子どもにまんべんなく訪れた訳がなく、金持ちと貧乏人がいた時代にあっては、金持ちからそれは始まった。

  丁度TVが普及しだして、貧乏人は街の公園におかれたTVで「力道山」を見た。やがて少し余裕の出た貧乏人の家にTVが来た。夕ご飯を食べた子どもは、TVのある家に見せてもらいにいった。その家では、玄関の間にTVがおいてあった、呼び出し電話が玄関にあるように(高校の卒業アルバムを見ると、《呼》なる電話番号があると、近所の家が電話を受けてくれる)。
  そんな子ども時代のケーキは、クリスマスとお正月と誕生日が一緒になった小さなケーキだった。そのうちクリスマスケーキと、誕生日のショートケーキに分かれた。でも、正月生まれの私は、いつも忘れられていた。

  11月の末に、彦根の商店街で”えびす講”が催された。出店が出て、近郊の人が押し寄せ、それは賑やかなものだった。この日に、正月に着る服・下着、靴などを買ってくれた。つぎはお盆の前だった。貧乏とはそういうもので、いつでもいる時に買うようになったのは、スーパーがそこここに出来て、「買え、買え」というようになってからだった。

  今では、お金を出して物を買うのは日常だが、食品を除いて、買い物とは行楽のようなもんで、イベントだった。そう「買い物に出かける」のだ。

  うん?お誕生日だ。でっかいケーキを独り占めできるようになったのは最近のことだ。家族で切り分けて食べる機会がなくなったから、、、。でもそれは子どもたちが独立して、それぞれが切り分けているから、順繰りなんだ。


  石油ストーブの赤い火が幸せだ。さあ、あと何回喰えるだろうか、秒読みとはまだ思えないが、繰り返してきた歳より短いのは確かだ。



  写真の合成。
  ラベルマイテイで、A4サイズに、写真を貼り付けてレイアウトする。
  画像として保存すると、一枚の画像になる。
  これをキャノンのファイルマネージャーに送る。ここで、トリミングして保存する。
  これで、他の写真と同じフォルダから、ホームページビルダーに取り込んでページを作成する。

  手間なようだが、ラベルマイテイでプライスカードやはがきを作成しているし、キャノンのデジカメの処理と同じ扱いができるから、全体として軽く処理している。
  まあ、ホームページビルダーの使い勝手の悪さがそもそもなんだけど、、、。
2012年1月2日(月)
「多動」なんだと思う


  バネを止めるフックは基盤の裏で半田で固定。このフックが外れていた。
  2年前、Vaioを壊した。で、今のNECになった。中を開けてHDを取り出し、動いた。HDが動いたので、データをNECに移して、まあ事なきを得た。
  その時、このフィンが外れているのを見つけた。ひょっとすると、このVAIO君、生きてるかもしれない。フィンがころんと外れて基盤が熱くなり熱暴走したのかもしれない。でもNECに変わったし、まっ、いいかになった。そのうち、そのうちにと今まできた。
  日立ノート・プリウスのCの容量がすぐなくなる。ウインドウズの更新に次ぐ更新でそうでなくても容量の少ないノート、リカバリーでしのいできたが、VAIO君に変わろうか。正月だし(どういう理由?)基盤を取り出して、半田付けをして、固定してみようか。

  まあ、なんとも厄介な解体作業だった。たった2か所の半田付けのために昼までかかった、ふ〜。



  綺麗に組み立てて、動かなかったら馬鹿馬鹿しいので、写真の状態でテスト。
  なにやら怪しげな画面が出てくる。AUTOでするかどうか訊いてくる。どうせ分からないからドンドンと進んで、「ウインドウズの通常の起動」っていうおなじみの画面がでたので、ドンドン。
  無事動いた。そこで、尽きた。年賀を投函がてら三島池に出かけて、カモさんにパンをやって帰ってきた。


  9時過ぎから始めて、30分くらいで退屈して、一服、また一服。動いて一服。三島池で一服。飯喰って一服、昼寝で一服。
  VAIOはまだ写真の状態。服をきていない。




  つまり30分と同じことが続かない。落ち着きのない子や、と言われた。教室では前向けと言われた。「子どもは外で遊んでぃ」、ランドセルを玄関に投げ出して、日が暮れるまで外で遊んでいた。家を出たら、学校も野原も空き家探検も同じだった。
  ドロドロになり、服はカギ裂き、あっちこっちに擦り傷。汚し屋さんと言われた。糸で縫った傷あとがまだあっちこっちにある。味噌汁ナベに足つっこんでできたケロイドが両脛にある。

  本と宿題は、寝床の中でやった。これだと体が動かないので、はかどった。ただ試験が苦手だった。寝転んで受験させてくれる試験会場にまだ出あっていない。不利である。立ち姿では思い出せないではないか。

  還暦は子どもに還るというそうだ。少しづつ思い出しながら、そうかあそれで納得。今でも本は布団の中、PCのキーボード・モニターも寝転んで使えたら、もっと身につくのに。にらめっこしながら、ふ〜って寝転んで反芻している。


  いやいや、新年この「野良日記」も新しいファイルに変えて、リンクを貼り直して、と大みそかから懸案。まっいいか、そのうちやるかとりあえずこのまま。

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